プロフィール

はじめまして。

心理カウンセラーの長野ともです。

私は看護師として25年以上働きながら、離婚・発達障害児2人の子育て・不登校を経験し、自分の過去を否定し続けてきました。
そんな自分がカウンセリングによって救われた経験を活かし

自己否定から解放され、あなたらしい幸せを実現する

カウンセラーとして活動しています。

カウンセリングを行う上では、あなたとカウンセラーである私の相性がとても大切です。
プロフィールをお読みいただき、私のことを少しでも知っていただけると幸いです。

【プロフィール】

「いい子」でいることで自分の存在価値を確かめ
常に人からの評価ばかりを気にしていた子ども時代

                                 

私は二人姉妹の長女として、共働き家庭に生まれました。

父も母も帰りが遅く、寂しさを常に抱えていましたが、母の膝の上にはいつも無邪気で甘えん坊の妹が座っていました。

そんな母から「お姉ちゃんはいい子ね」と言われることがうれしくて、
「いい子でいなきゃ」「怒られちゃいけない」という意識がとても強い子どもでした。
学校でも両親が喜ぶよう振る舞い、先生にほめられることで自分の存在価値を確かめていました。


そしていつの間にか自分の感情を抑え込んででも、その場が丸く収まる行動をとり、
周囲の目や自分の評価を気にするようになっていきました。

 
親に負担をかけたくないとの思いから、大学進学の夢をあきらめて学費のかからない看護学校へ入学

高校3年生のとき、両親が私の学費について会話しているのを聞いてしまいました。
「大学に進学するとお金がかかる」「仕送りなど考えるととても無理」

私は親に負担をかけてはいけない両親に嫌われたくない一心で、
授業料が一番安く、親が喜んでくれるはずの看護学校へ進学を決めました。
担任からは、なぜ進路を変更するのか?と聞かれたけれど、「看護師になりたいんです」と自然と噓をつく自分がいました。

新人のころから周囲の顔色をうかがいだれにも頼れず
「できる看護師」を演じるしかなかった

看護学校卒業後は、地元の公立総合病院に就職しました。
両親は「公務員」という安定した職に就いたことをとても喜んでくれ、私は認めてもらえたことで居場所を得られた感覚でした。

そして看護師としても、新人の時から先輩たちの顔色をうかがい、どうすれば迷惑をかけないかを基準に動いていました。

気が付くと、仲間に助けてほしいことや甘えたいことがあっても誰にも頼れず、「できる看護師」を無理して演じるようになっていました。
看護師としてもほめられ、認めてもらうことで自分の居場所を作るという、子どものころと同じことをナースステーションでもやるようになっていたのです。

患者さんとの間でつらいことがあっても、誰にも相談することもなく、自分が悪かったとひたすら反省し、なんとか立ち直る…毎日綱渡りのような精神状態でした。

結婚して不妊治療開始 
義実家からのプレッシャーに押しつぶされた

25歳で結婚。
結婚当初から義実家からの「早く初孫の顔が見たい」という期待をひしひしを感じていました。
義母に生理不順であることを伝えると、「今は医療も発達してるから大丈夫よ」と何度も促され、不妊治療で有名な病院に通うようになります。

すぐに妊娠できるだろうと周囲が期待していたにもかかわらず、なかなか結果は出ませんでした。
そして治療に通い始めて1年が過ぎたころ、義実家からの帰り道、突然涙が止まらなくなりました
それまで不妊治療に対して前向きに頑張っているように振舞ってきたので、夫は大泣きする私を見てとても慌てていました。
そしてしばらく義実家に行くことができなくなりました。

それから半年後、プレッシャーから解放されたのもあったのか、奇跡的に妊娠。
長男を出産しました。

保育園で「長男くんって自閉症じゃないですか?」と言われ
たった一人で子どもに向き合う日々

ある日、保育園に長男を迎えに行くと、担任の先生から
長男くんは自閉症じゃないですか?」と言われました。

私はやっぱりそうかとすぐに納得しました。
長男は、物心がついた頃から好きなものにとてもこだわりのある子だったのです。

絵本ならこのページだけ、DVDならこのシーンだけを繰り返し見たいと
何度もせがんでいました(のちにADHD注意欠如優位型・ASDと診断を受けます)。

当時はまだ発達障害という言葉自体があまり使われず、
多動児や自閉症などが同じような意味合いで使われていました。
長男の特徴をネット検索すると、すぐに「自閉症」という言葉がヒットしたのです。

私はすぐに夫や義父母に、長男の気になる特徴などを相談しました。
でも返ってきた答えは「そんなひどいことをいう保育園はやめたほうがいい」でした。

その言葉に目の前が真っ暗になり、強い孤独を感じました。
そして、長男を守れる人は私しかいないと心に決め、自閉症のことを自分なりに必死に勉強し始めました。

次男もまた発達障害 
子どもの評価=自分の評価だと思い込んだ

その後、もう一度不妊治療を受けて次男が誕生しました。

次男には生まれた時から感覚過敏がありました。
聴覚や味覚なども敏感でしたが、特に触覚が鋭いのか肌触りが悪い服やタオルを極端に嫌う子でした。
私は次男にも発達障害があると確信しました(のちにADHD注意欠如優位型・LDとの診断でした)。

この時も夫や義父母に私が気になることを話してみました。
でもやはり理解はしてもらえず、逆に「そんなはずはない 孫たちは普通の子」
「障害があると勝手に決めつけて そんなにあなたは子どもを障害者にしたいの?」と責められました。

この経験をきっかけに、義父母の前では子どもの特徴を隠すようになりました。
そして子どもの評価がさがると自分の評価もさがると思いこみ、義父母に会うことに対し恐怖心を抱くようになりました。

子どもへの接し方がわからない夫は私を責め続け 
孤独感は強くなるばかり

子どもが大きくなってくると、学校で同級生との違いが見えてきました。

文字が上手く書けない、忘れ物が多いなど、私にとっては予測できていたことでした。
ところが、夫にはそれが全く理解できませんでした。

練習すればできるようになると信じている夫は、繰り返し練習させる→それでも上達しない→心配が怒りに変わる→イライラして怒鳴る→子どもたちが離れていくを繰り返しました。

一方で私は、子ども達がつらい思いをしているのは自分のせいだと自分を責め続けました
少しでも子どもが笑顔になれればと、宿題も好きなゲーム感覚でできるようにするなど工夫していましたが、夫はそれを見て「子どもに取り入って機嫌を取ってる」「甘やかしているだけ」と反発するばかり。

最後には「俺には子育てはわからない」と逆切れされ、私の孤独感はますます強くなっていきました。

夫との距離はますます離れていき離婚 
子育てに一人で悩み、発達心理学を学ぶ

その後も夫の子ども達への接し方は変わることなく、
夫婦間で歩み寄ることはありませんでした。

どんな時でも子ども達は私を頼りにするので、
夫は徐々に家庭の中で孤立していきました。

そしてついに夫は離婚を切り出し、家を出ることになります。
目の前から父親という存在がいなくなったことで、
ここから本当の意味でたった一人での子育てが始まりました。

この頃に発達障害の子どもたちに、うつ病や依存症などの2次障害が出やすいことを知り、驚きと同時に激しく落ち込み、しばらく立ち直れませんでした。

そしてそれだけは避けたいと一念発起し、通信大学に入学し発達心理学を学び始めました。
その後は学んだ理論やメソッドなどをすぐに子どもたちに活かそうと、まさに孤軍奮闘の毎日でした。

長男の大学中退 次男の不登校 一人子育ての限界がきた

長男は私の勧めもあり大学へ進学しました。

しかし大学にはなじめず2年で中退します。
そのとき長男から「僕は本当は違う学校に行きたかった。でもお母さんが言うから大学に行ってみた。けどダメだった。」と言われました。

私なりに長男の特徴を考え、彼に合った大学を選んだつもりだったのに、完全な私の独りよがりの選択だったのです。

次男は中学生の時に不登校になりました。
私は自分の子育ての何が悪かったのかと悩み、自分を責めました
そして頭ではダメだとわかっているのに次男に学校へ行くよう迫りました。

当然次男との関係は徐々に悪化していき、ある朝ついに
「お母さんのことは一生許さない!」と言われてしまいました。
私はその言葉に頭を激しく殴られたようで、ハッと我に返りましたが、それからはより一層、自己否定の気持ちを持ち続けることになりました。

この時ほど、もう一人父親という存在がいたらと悔やんだことはありません。
誰からも客観視してもらえない一人子育ての限界を感じた出来事でした。

ついに体が悲鳴を上げ、入院・手術

このころから微熱やだるさ、関節痛などの症状に悩むようになり、
リウマチと変形性膝関節症との診断をされました。

そしてついに普通に歩くこともできなくなり、入院して膝の手術を受けました。
医師からは「この病気はストレスの影響も出やすい。過度なストレスは避けたほうがいい」と言われました。

入院中は両親や友人などたくさんの人が助けてくれましたが、それに対して私は感謝の気持ちよりも申し訳ない気持ちが強く、「私の頑張りが足りなかったせいだ」と自分を責めました

そして今後は人に迷惑をかけてはいけない、頼ってはいけないと、ますます自分の殻に閉じこもるようになったのです。

一人の患者さんとの出会いから、心のケアに興味がわいてきた

看護師としては、相変わらず先輩や同僚の顔色をうかがい周囲にもめごとが無いように振舞っていました。

ある日、病棟に一人の男性患者さんが緊急入院されました。
その方は働き盛りでお若いにもかかわらず、末期の大腸がんを患っておられました。

入院当初は現実を全く受け入れられない様子で、
看護師の関わりを完全にシャットアウトし、カーテンを開けることすら嫌がりました。

私はその患者さんの担当になり、毎日会話をしていくうちに少しずつ心を開いてくれ、私のお世話だけは受け入れてくれるようになりました。
周りの同僚から「すごいね」「どうやったの?」と聞かれるのですが、
私にもどうしてこの変化が起こったのかわかりませんでした。

この時から、心の変化はどうして起こるのか興味を持つようになり
時間を見つけては、患者さんの心のケアに関する研修や講座を受講しました。

そして翌年にはさらに学びを深めるため大学院に進学してがん看護を学び
卒業後に「がん看護専門看護師」「がん専門相談員」の資格を取得しました。

これまでのつらさをわかってもらえた感覚を初めて体験
共感の本当の意味を知った

ある日、大学院での師匠ともいえる先生が、突然私のこれまでの経験について聞いてきました。

今思えば根掘り葉掘りデリカシーもなく、かなり強引な感じでした。
でも尊敬する人からの質問でしたし、抵抗もできず淡々と答えていきました。

自分のことなんて初めて人に話すのに、緊張することもなく30分以上も夢中で話していました。

ふと気づくと先生が「よく頑張ってきたね」と言いながら涙を流しています。
私はびっくりすると同時に自然と涙があふれてきました。

これまでのつらい経験や気持ちをわかってもらえた喜びを感じ、真っ暗だった自分の心に穏やかな光が差すのを感じました

それはとても温かな光で、私に安心感をもたらし、先生との信頼関係はゆるぎないものとなりました。

私はそれまで看護師として相手の話を聞き、患者さんに共感してきたつもりでした。
でもこの経験によって初めて共感することの本当の意味が理解できました。

そして、この経験が私が目指す理想のカウンセラーの原点になっています。

「傾聴」と「共感」だけでは患者さん・ご家族を救えなかった

病院では看護師として働く一方で、10年以上がん専門相談員の経験もしました。
年間100名ぐらい、通算1000名以上の患者さんやご家族の相談にのってきました。

そこでは話をじっくり聞く「傾聴」と、心からその悩みに寄り添う「共感」を実践していました。

しかし、皆さん一時的には笑顔を取り戻しますが、次に来た時にはまた同じ悩みを抱えているのです。
私はどうすれば患者さんとご家族を悩みから救うことができるのかわからず、
自分のスキルの限界を感じました。

そんな時、人の心を救うことが仕事であるカウンセラーに興味を持ち、専門的に学び始めました。

メソッドで初めてつらかった自分の気持ちが癒され、
カウンセリングのすばらしさを実感

カウンセラー講座では、様々なメソッドと出会いました。
これまでも様々な心理学や脳科学を学んできたので、
すでに患者さんに実践していたものもありました。

ただこれまでと違っていたのは、
講座の先生が、私に対してそのメソッドを実践してくれたのです。

先生にこれまでの経験を語ることはなかったのですが、ある日先生が「どうしてあなたは人には共感できるのに、自分には共感できないの?」と尋ねられました。
今思えば先生は、私が常に自己否定していることを見抜いておられたのでしょう。

そして「あなたの心は、あなたに無視されてきっと泣いている。しっかりと自分の本当の気持ちを認めて抱きしめてあげなさい。」とマインドハグというメソッドを教えてくれたのです。

それから先生のカウンセリングを受けるうちに、「私はこのままの私で存在してていいんだ」「これまでの私がいたからこそ、今の自分があるんだ」と思えている自分に気が付きました。
私が自分の気持ちを優しく受け入れることができた瞬間です。
何とも言えない温かな感情があふれてくると同時に、カウンセリングがこれほどまでに人を癒す力を持っていることに感動し、そのすばらしさを体感することできたのです。

カウンセリングによって
40年以上も続く悩みの本質が理解できた

さらにカウンセリングによって得られた癒しは、
日々の生活にまで変化をもたらしました。

心が穏やかになり、悩みに支配される時間が徐々に少なくなってきたのです。

すると自然とこれまでの自分と向き合うことができ、悩み続け苦しかった過去を正面から見つめなおすことができました。

これまでの私を振り返ってみると、他人からの評価を気にするあまり、
自分を厳しく追い込み、自分らしい選択をしてこなかったことに気が付きました。

他人の選択に沿うことで自分の運命が変えられていく、
まるで他人の人生の脇役を生きているような状況だったのです。

もし自分らしい選択ができていれば、
不安や孤独から解放されていたに違いありません。

私の悩みの本質は、自分の感情を否定するあまり、他人の感情や評価の中に身を置き、自分らしい選択ができないつらさだったのです。

自分の経験を活かし
カウンセリングで一人でも多くの人を救いたい

私はカウンセリングに出会ったことで、
過去の自分、そして今の自分をやさしく受け入れることができました。
今では「自分」と「他人」の存在をはっきりと分けて認識し、
自分らしい選択ができ、穏やかな時間を過ごせるようになりました。

今では、自分を評価ができるのは自分しかいないと胸張って言えますし、
自分の人生の主役として自分らしく生きていることを実感しています。

 

自分らしい選択ができなかった私はカウンセリングによって救われました


現在は、同じように悩み苦しんでいる方々を救いたいと願い
カウンセラーとして活動しています。

<おわりに>

長文にお付き合いいただきありがとうございました。

もしあなたが過去の自分を否定し、後悔の気持ちに苛まれたり、つらい気持ちを抱えているなら、ぜひ私と一緒に悩みの本質を明らかにしてみませんか?

自分らしい選択を取り戻し、人生に癒しの光がさすための一歩をお手伝いします。
まずはお試しカウンセリングで私やカウンセリングとの相性を確かめてみてください。